雑記なノラ

『まるまるなノラ』による雑記ブログです。 趣味(スポーツ観戦、ツーリング、人狼ゲームなど)、科学、教育、その他ネットニュースについて話題にします。





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学校教育では「本当にデキる」人間は育たない 基本を学ぶなら午前中だけ行けば十分だ




 という記事(塚田 紀史 : 東洋経済 記者)が2017年11月19日に掲載されています。


自分が育ってきたプロセスを考えても、学校で育ててもらった実感がない。学生時代は僕にとって戦後のいい時代で、友人ができたことは大きな意味があったが、学校で身に付けたものはそんなに多くない。教育に世間が考えているほどの力があるのか、教育はそんなにいいものなのか、との疑問が、教育学を長年手掛けながら消えることはなかった。

仕事ができる人間と学歴は関係がない
人には得手不得手があると。

もともとそう。誰もがそんなにいろんなことができるわけではない。むしろ可もなく不可もなしのことをいっぱいやり、満遍なくできる人間ほどつまらないものはない。それより、こっちは苦手だが、これをやらせたらすごいという人はたくさんいる。でも、「平均的な底上げ」を得意とし、「年相応の学び」を提供してきた学校教育は、そういう人間を伸ばせるシステムとはいえない。


最低限の読み書きそろばんは必要だとしても、それは学校の午前中だけで十分だ。午後は子どもがそれぞれ自分のやりたいことを見つけて、それを伸ばすことに専念する。そのやり方を学校が認めてくれないなら、その学校の存在意義は薄い。そうしたほうが、絶対面白い子が育つからだ。


というように、学校の午前中だけで十分であって、子どもがやりたいことを見つけて、成長子葉とすることの方が面白い子が育つということらしい。


義務教育での学校は個性を伸ばす場であり基礎を学ぶ場である


学校では生徒の活躍場をつくり、個性を伸ばす指導がされています。それと同時に、社会で生きていくための基礎を学ぶ場でもあります。

それぞれの得手不得手に応じて、子どもがやりたいことを学ぶという考え方について私は大切にすべきだと思います。

ですが、一体自分が何が得手不得手なのかということはどこで知ることができるのでしょうか。学校で一律に指導を受けるからこそ得手不得手がわかるのではないでしょうか。

つまり、学校で基礎を学ぶからこそやりたいことが見つかると思うのです。

また、やりたいことをやりなさいという指導に関してもなにがやりたいか見つかっていない場合はなにもしないで終わる気がします。

現在の教育システムは中学校までで義務教育を終えて、自身が何を学びたいかによって進学しますそれまでは共通の勉強を指導しそこから個性を発揮するシステムだと思います。

さらにご家庭の考え方によっては、公立の学校に行くのではなく、学ばせたい方針によって私立学校を選択するのではないでしょうか。


学校に価値があまりないという発言をするのではなく、そもそも学校というものが何のためにあるのかということを見つめ直した方が有意義だと思います。


午前中だけで十分だという話は飛躍している気がします。

学校は天才を育てる場ではない


学校はそれぞれの教育方針に従って教育をしています。私立学校は私立学校ならではの方針が、公立学校は文部科学省の方針に従います。

高校からは、それぞれの生徒が自身の適正に応じて進路を選択し、さらに余分に学びたいことがあるならば各家庭の判断ですべきです。

私は、学校という場が万能で学校さえ行っていればいいという発想は違うと思います。家庭教育、地域からの学びを含めて人は成長できます。学校に頼るなというメッセージのあるこの記事には共感できる部分があるとともに、午前中だけで十分というのは納得できませんでした。











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コメント

 コメント一覧 (1)

    • 1. ゆずたろう
    • 2019年07月18日 07:25
    • ‪この記事は義務教育期間を指しているのでしょうか?個性を伸ばす場を学校に括った方が子供は伸びないと思います。みんな平等であれとは思いません。すごい才能の芽があれば伸ばすのが正しいのでしょう。でもそれは自分を含め万人にはありません。そして後は…ノラさんに同意です。‬
    • 0
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