
2019年7月15日の教育新聞に
「子どもから学ぶことの大切さ」
として戸張利恵さん(埼玉県古川市教育委員会教育長)の主張が掲載されています。
とび箱を前にすると尻込みするような子がいました。わずか8時間ほどの授業でしたが、児童生同士でコーチングするような仕掛けを試みたところ尻込みをしていた児童がとび箱を飛べるようになりました。その女子児童は達成感があったのでしょうが、作文には「体育には深いものだと分かりました」とつづってありました。尻込みしている児童も伸びたいと思っていることを学びました。今に至るまで一人一人のかのうせいを信じて伸ばすという思いは、変わりません。
戸張さんは授業でとび箱の授業を行い、生徒同士で教えあう授業をした結果、消極的な生徒もとび箱に挑戦する姿勢が見えたというエピソードが掲載されていました。
私はこのエピソードに2点の重要なポイントがあると考えます。
教師は誰もができるように工夫しなければならない
戸張さんはとび箱を跳ぶという課題を児童同士の教えあいという指導方法により、尻込みする女子児童も跳べるようになったという話があります。なにか課題を達成するためには生徒になぜその課題をするのか課題を達成する過程の楽しさを伝える必要があります。そうすれば、自然とチャレンジする姿勢を育てられると思います。そして、教師は消極的であるということにかかわらず授業を行う以上は様々なアプローチをし、したいやりたいと思う気持ちを育て達成させなければなりません。できない子がいても仕方がない課題だと見過ごすことはしてはあってはなりません。その姿勢を改めてこの文章では確認することができました。児童はできるようになりたいと思っている
尻込みしている児童がやりたがらず、教師はできなくていいよと声をかけてしまえばその児童はできないままです。誰しもができないよりかできる方がいいに決まっています。しかし、やりかたがわからないであったり、一人ひとりの能力に違いがあり、もういいやと思ってしまっています。もし、とび箱ができないままにしてしまえば、その児童は他の活動場面においても消極的なままでしょう。たったとび箱と思わず、またたったとび箱と思っている人がいるのならばそれくらい達成させるくらいのつもりで取り組むべきです。
教師の役割はどんな子でもできるようになる方法を伝えることにあります。そして、情熱をもって授業にとりくまなくてはなりません。
そして、学校という場ができるをつくってくれるそんな安心した場を作る必要があるという思いを戸張さんがもっていることがよくわかります。
私もこの文章から子どもを大切にするということを学ばせてもらいました。
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